片づけることは、削ぎ落とすこと
家の中を片づけることが好きだけど、ぜんぜんきれい好きじゃない。
お掃除もそんな得意じゃないし、家中ぴかぴかでもない。
なんと言っても、ムダにたくさん持っているものがたくさんある。
便箋とか封筒とかポチ袋とか
「何十人分の人生の便箋持ってるの」
と健一くんに言われる。
引き出しに何段分もあって、意味もなく、引き出しや箱を開けてうっとり眺めたり、匂いを嗅いだりする。
筆記具は、町の文房具屋さんくらい、多分ある。
恥ずかしいから言えないけど、こっそり数えたら・・・やっぱり言えない笑
「今度ワークショップでカラーペン使うんだけど、使っていいやつある?」と健一くんに聞かれて、
ここぞとばかり張り切って、「これもこれも持って行っていいよ」と鼻を膨らませて言ったことがある。
なかなか出番がないペンたちを使ってあげる少ないチャンスを逃さないようにしなくてはいけない。
本も多い。読んでいなくて、積んであるだけの本もたくさんある。
軽く罪悪感があるけれど、そう言う役割の本もあってもいいよね
かぶっていないけれど、飾ってある帽子とか、
いろんな形のインク瓶とか
言いだしたらキリがないくらい変なものもある。
一方で、
もう着ない(着たくない)服とか、使わなくなったマグカップとか、お金払ったけどやらなかった通信講座のテキストとか材料とか
そういうものに気づくと、困ってしまう。
随分前のことだ、ある引き出しをあけると、その度にもやもやしていた。
なんでだろう・・・考えてもわからなくて、引き出しの中身を全部出して、きれいに整えてからしまい直した。
綺麗に整っているのに、それでも、もやもやはなくならなかった。
思い切って、引き出しの中にあった、新品だけど、もう好きじゃなくて使わないものを取り出してみたところ
モヤモヤは消えていた。
ああ、そうか、要らないものがあるともやもやするのかと、この時初めて気がついた。
私の要らないもの=もやもやする
とわかってから、手放すことを迷わなくなった。
自分の中の変化で、必要なものは変わる
その時の興味関心とか、考えていることとか、はまっていることとか、だいじにしていることとかで、ころりと変わる。
人間は変化、進化していくものだから、仕方ないもの、自然なことだと思う。
あるとき、もやもや信号をキャッチすると、お役目が終わったものがいることがわかるのだ
たとえ使わなくても、自分の必要なものたちは、わたしの世界に必要なものたちなのだ。
私の世界を作るもの
一方で機能的に使えても、自分に必要でないものは、私の世界にもういらないもの
ちょっと冷たいような気もするなあ
「片づけたい」という願望は、「そぎ落としたい」願望なのだと思う。
要らないものをそのまま置いておくと、自分がぼんやりする。
自分の形というか輪郭がぼんやりしてきて、何が好きなのか、何をやりたいのか、何を考えているのかが、わからなくなる。
自分を見失いそうで、涙が止まらなくなる。
変態かもしれないけど、
でも、このそぎ落としがたいせつ、わたしにとっては。
これからも、好きなものは、せっせと買ってくるのだと思う。
そして、結局、自分の好きなものだけに囲まれていたいんだなあ