むりに合わせない
年をとってもパートナーとは、仲良く手をつないで歩けるような夫婦になりたいですと、婚活のプロフィールの中に将来の夫婦像として書いている方を結構見かけます。
(たぶん、チャーミーグリーンのCMみたいな感じかな)
なるほどなあ、と思いながら、ウチのことを振り返ってみました。健一くんは気がつくと、トコトコ先に行ってしまいます。どう意味かというと、彼に比べるとわたしの歩幅がだいぶ小さいので、自動的に歩幅の差が積み重なって、わたしはどんどん遅れてしまうのです。遅れたわたしをほとんど振り返ることなく遥か先に行ってしまいます。
だんだん小さくなって行く背中よ
おーい、待ってくれや〜
ふだんは、こんな風に置いていかれるか、あるいは、急ぎ足で後ろをついて行くのか(無言で)になります。しかしながら、遅れまいと、がんばって行くのはツライ、ツライのです。ここがんばるとこじゃない気がするし、何よりたのしくないのです。
日ごとつらさがつのります…
なんで早い方がペースを合わせて一緒に歩いてくれないんだろうと、ぷーっとふくれたり、待ってくれればいいのにという気持ちが高まったりして、いつしか不満に感じるようになっていました。待って欲しいと伝えたり、あとでぶつぶつ文句を言ったりしていましたが、まったく効果なし子さん。どうしたもんかなぁ…
それにしても、なんでわたしはこんなことを不満に感じるのだろうかと、自分で疑問に思うようになりました。
思いあたったのは、なんか自分が大切にされてないような気がすると感じていたことでした。もし、ほんとに大切にされているならば、気を遣って待ってくれるはずじゃん、というわたしオリジナルのロジックによりました。(へんてこロジックでした)
そしてもうひとつは、いつも健一くんのペースに合わせるのが苦痛でした。相手のペースに常に合わせなくちゃいけない…という状況が、わたしには無理でした。
今日スキー場で、いつものように置いていかれ、健一くんの小さくなる背中を見送りながらふと気がついた。
そうか、わたしも自分のペースで歩けばいいじゃん。
置いていかれて悲しがったり、相手のペースに無理してついて行こうとするのではなくて、自分のペースで行こうと思ったわけです。
ゲレンデを後にしてクルマに戻る道を、すたこら急ぐ健一くん。わたしは置いていかれながら、にやり。好き勝手に、遊びながら歩いてみよう。寄り道してそこらへんの新雪に顔を埋めてみたり、斜めに降りしきる吹雪の様子を写真に撮ってみたり。
はぁー、たのしい。
ぜんぜんイライラしない。悲しくない。つらくない。大切にされていないとか、そういう問題じゃないし。
実際に時間差で到着しても何も問題ありませんでした。クルマのところに着いたのが、後になっただけ。逆の立場になって考えてみると、健一くんだって、自分のペースで歩きたいはずなんです。何かしら思うところがあってそうしてるんだろうし、早い方が遅い方にいつも合わせなくちゃいけるのも変だし、(それ、すごく変だ)
そう考えると、ウチはお互い自分のペースの方が楽ちんだろうなと思うのです。一緒に行くことが必要な時は、途中で待っていてくれるので、やっぱりぜんぜん問題ないし、あと、駐車場でクルマを止めた場所がまったくわからなくて200%迷子になった時は、全然違うところをうろちょろ歩いていたところを、(補導ではなくて)探しにきてくれました。
ウチはペースが違いすぎて、手をつないで歩く確率はかなり少なくなりそうですが、その方がお互いの幸せと心の平安が保てそうだということがわかりました。そんな思い出深いスキー場からの帰り道でした。
右の3枚は、クルマの横で撮りました。
はぁ、ちべたくて、気持ちよかった〜