違和感の原因を探せ

その違和感は突然やってきた。モスグリーンのコットンのドレス、買って2週間も経たないうちにやってきた大きな違和感を確信した。

クローゼットの中で、なぜか手が伸びない洋服がある。お店ではとてもとても気に入って買ったのにもかかわらず、何度か着るうちに、違和感を感じるようになってくるモノたちだ。まだまだ、飽きるほど着たわけでもなく、色も間違いなくイエローベース、何より数週間前にしっかりチェックしてうちに連れて帰ってきたのだ。しかしながら、着ようとハンガーから服を外して手にとった途端に、穴の空いた風船のようにわたしの気持ちがしゅるしゅるとしぼんでしいくのを感じた。

そもそもこのグリーンのドレスは、長期の旅行に出かける時に持っていこうと思って買ったものだった。温かくて、しわになりにくく、しっかりした生地のコットン。袖にも顔まわりにもコットンのレースが施されていて、わたしの最近のど真ん中タイプのドレスだった。

せっかく旅行のために買ったのに、旅行の前に着たくなくなるなんてと泣きそうな気持ちを抑えて、思い切ってがぶりと頭からドレスをかぶった。なんとかリカバリーしなくてはならない。さてどうやってリカバリーをしようか・・・ドレスに近い色のアイシャドウをまぶたにちょこんと乗せてみたり、燻したゴールドのブローチを胸元につけてみたり、グリーンの柄が入ったスカーフをクビにくるりと巻いてみたりしたが、どのリカバリー手段も少しもドレスを馴染ませてくれなかった。違和感が消えない。

夫が見ていないことを確認して、思いっきり口角を上げて鏡に向かって微笑んでみたが(見られたらマジで恥ずかしい)一層、クビから上と下の違和感は広がるばかり。あれこれ試してアイデアが尽きる頃には、疲れて悲しい気持ちでいっぱいになった。間違って、ムダなお買い物しちゃったかー。そう思うと、鏡に映ったわたしは、いっそうしょんぼりして見えた。

仕方なくすっぱりあきらめて服を脱ぐと、一瞬はスッキリした気持ちになるのだけれど、クローゼットに戻したその服を見るたびに、どよんと黒い雲がかかったように胸のはじっこが重く疼いた。ごめんね、どうしても着てあげられないのよ。似合わないんだもん。

以前はそんな服があると、罪悪感が発動して怖いもの見たくなさでバッサバッサ手放していたこともあった(つまり捨てていた)が、最近は対応が変わってきた。そもそも購入の前に、色もデザインも素材も厳選に厳選を重ねて選んでいる。そこに間違いがないと思いたい。すると同じ違和感を繰り返さないためにも、その違和感の正体をさぐることに全力を注がなくてはならない。つまり、着たくないという事象のリカバリー手段を発掘するのではなく、着たくない理由はなんぞやという理由を徹底的に解明するのだ。「違和感を探すとよ、ググーッと見ると」、カラーの師匠カハル先生の言葉が頭の中で響いた。モスグリーンのドレスは、洋服の三大要素(と勝手に呼んでいる)色、デザイン、素材ともに問題ないはずだった。サイズだろうか、腰回りが少しだけ大きいかもしれない、色が微妙に暗いのか、襟が僅かに詰まりすぎか・・・

ひょっとして、ボタン、そう思った。胸の真ん中あたりにボタンが8個並んでいた。ボタンは真っ白だった。白はブルーベース。これかも!慌てて、裁縫箱を引っ張り出してきて、ボタンの山をひっくり返した。10ミリのボタンホールに合うボタンはと探すと、ビンテージっぽいゴールドのボタンが見つかった。全ての白いボタンを外して、ひとつゴールドのボタンを縫いつけてみると、いいぞという感じ。ホッとして、8個ともつけてみた。前よりずっといい。いや、でも100点じゃない・・・結局何日かかけて吟味した結果、ネットで、ココナッツをくり抜いたブラウンのボタンを見つけた。都内のボタン屋さんから新しい8個のボタンが届いた。それらを取り付けた時、ふーっとため息が漏れた。このドレスのためのボタンだと思った。鏡の前に立つと、ふんわり厚手でかさりとした表情のコットンとの上に、自然な風合いのココナッツのボタンが並んでいる様子が、ひとつの森の奥で一緒に生まれ育った兄弟が仲良く隣り合って暮らすように、心地よさそうに見えた。そこに違和感は全くなかった。

似合わないと先走って処分しなくてうよかったと思った。夫から見ると、一着のドレスのボタンを巡って、あーでもない、こーでもないと、ちっこいボタンを変えながらゴニョゴニョしているのは、訳がわからない世界だと思う。自分でも、注目している世界が小さすぎて、我に返った時に、いい大人になってこんなことしていて良いのかと思うことがある。自分がおもしろい世界をこれでもかと突き詰めるのが楽しくてたまらないと気づいたのは、最近のことだ。昔「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの。」と言ってた人がいたね、と夫。多分、私は三球さんに似ていると思う。それを考えていると眠れなくなるくらい楽しい、そういうタイプだ。私にとって、自分と対称のものとの1体1の真剣な対話なのだと思う。突き詰めることは、ものをじっくり観察すること、そこからしっかり感じること。感じた言葉で表現すること。言葉によってより感覚を広げておもしろがること。このモスグリーンのドレスとボタン事件は、そんなことを気づかせてくれた大切な経験になった。

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