場所の記憶

気持ちのよい風

京都にはない高層ビル街がかっこよくてどきどきする。

大阪の駅近くヒルトンホテルの前を歩いていた時、ふともう20年以上前のことを思い出していた。

その頃わたしは、青山墓地のそばの雑居ビルにある会社に勤めていた。

取り扱っていたのは、ホテルや店舗の内装用のファブリック、イタリア、フランス、イギリスなどのヨーロッパの国々から輸入した美しい布だった。

在庫ルームには、天井まで巻物の布が積んであって、個性的な布たちのムッとするような濃厚な匂いが部屋中に充満していた。

布をさわってみると、分厚かったり、しっとりしていたり、ごわごわしていたり、すべすべしていたり、こわれそうに繊細だったり、さわったことないような感触のものばかり、

見たことがない色や柄が広がっていた。

静まり返ったオフィスに戻ると、リノリウムの床の上を、昔の警察署みたいな灰色の椅子が、動くたびにかちゃかちゃ、キーキーと音をたてていた。

それほど広くないオフィスには、なぜだか当時はやっていた「だんご三兄弟」の曲がよくかかっていた。多分社長の趣味だったのだと思う。

廊下を挟んだ向かいにちいさなちいさな給湯室があって、お湯を出そうとして蛇口を捻ると、

白い旧式の湯沸器の中でガスのつく「ボッ」と大きな音がして数秒遅れてお湯が出た。

その音を聞くたびに、なんともいえない悲しい気持ちになって、

「いつか高いビルの高層階にあるピカピカのオフィスで仕事したいなあ」と思った。

何回かの転職を重ねて、高いビルの高層階で仕事をしていた頃、パソコンを抱えて次の会議のために慌ただしく会議室を移動しながら

ふと窓の外を見ると驚くほど大きなまっかな夕日があった。

きれい、おもわず声が出た時、

同僚は、池さんがたそがれてるよ、さあ行くよ

と笑った。

仕事が、時間が、前へ前へとどんどん押し流されていく、その激流に自分が飲みこまれていくように感じた。

どうしたらいいかわかなくなってしまって、仕事からの帰り道、歩きながら涙が止まらなくなった。

大阪で高層ビルを見上げていると、自分が丸の内や六本木で仕事をしていたことが、何百年も前のことのように思えた。

夢だったのかもしれないし、前世だったかもしれない。

ここからだと大阪も神戸も手軽に行ける。

どこかに行って京都駅に戻ってくるとほっとするようになった。京都駅から20分電車に乗ると、もうすっかり田舎だ。

家の周りにも、ランニングコースにも、駅にも、いろんな国の人たちが目をキラキラさせながら、きょろきょろしている。

わたしにとって、すごくお馴染みの景色になった。こういう景色がわたしの京都の記憶として残っていくんだろうなと思った。

今日行った大阪のタイ料理屋さん、ぜんぶ美味しかったから、全メニュー制覇したい

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