言葉にできない気持ち

先日衝撃的な事実に気づきました。

朝にお白湯を飲もうとして、あつあつのお湯がいっぱいにはいった鉄瓶を、

火傷しないようにと、そろりそろり運んでいるときにパッと頭によぎったのです。

小学生のころ、わたしはとても寒くて雪深いところに住んでいました。

すごく寒がりでマイペースだったわたしは、部屋にひとつしかないストーブにはりつくようにしてのろのろと着替えをしてたのです。

その時、

「ストーブにくっついてないで、早くしなさい」

と父親に叱られたそのはずみにバランスを崩して、ストーブの方によろめいて触れてしまったのです。

ちょこっとよりかかっただけで、たいした火傷ではなかったのですが、慌てた父親が大丈夫かとか病院に連れて行こうとしているのを見て、

本当になぜかわからないけど、

「ざまあみろ」

って思ったことを思い出したんです。

もちろんそのときは、その言葉は口にもだしていないし、そんなことを思った自覚もなかったはず。

40年以上も前のことで、もうずっと思い出すことすらなかった出来事でした。

そんな火傷を負わせた父親を恨んでいるわけでもなく

父親がずっと嫌いと思っていたわけでもない

むしろ、父とわたしは結構性格が似ているので、

まあまあ、わかってくれる時もある

一度わたしが会社をクビになった時など、会社からの帰り道に、いちばんに父に電話して、大泣きしながら話を聞いてもらったこともある、そんな関係でした。

でも、あのときは間違いなく「ざまあみろ」そう思ったとはっきり思い出したんです。

そのころの自分はかなりマイペースで(今でも❓)、てきぱき何かが出来る子じゃなかったのです。

だから、いつも「はやくしなさい」と怒られていて、それに対して、なにか言い返すわけでもなく、がんばって自分なりに急いでやる・・・みたいな感じでした。

多分、言いたいことが、たまっていたんだろうなと、今さらだけど思う。

「寒いから着替えたくないよ」とか

「ずっとあったかいストーブの前にいたいよ」とか

「はやくはやくってうるさいな、やってるよ」とか、

きっとそんな程度のことだけど、何か言いたかったのをグッと飲み込んでたんだろうなぁ。

言葉にできない気持ちは、その時に表現しようがないけれど、実際は感じていて感情が記憶として残っている。

その時に言えばよかったじゃないかと、後から言われたとしても、その時は言語化に至ってなくて言えない。

だから、そんな出来事はとっくに忘れていたと思っていても、実は感情が残っていて、なにかをきっかけに思い出すなんてこともあるんだなと思った経験でした。

「ざまあみろ」って思ったからといって、親を憎んでいたわけでもないんです。

ただ、思い出したことで、子供の頃の、ちょっと悔しかったのであろうわたしの気持ちが成仏した、そんな安心感に満たされました。

出来事があった時に、もやもやしたり、悔しかったり、むかっとしたり、その場では言葉にできないけれど、なにか感じることがあります。その時は後でもいいから

「何が言いたかったんやろなぁ」

とニュートラルに思い出して、出てきた言葉に対して、そんなこと思ったのね、そりゃくやしかったなーと、背中トントンしてあげる(イメージ)のが、自分にとっては大事なんだなと思いました。

前へ
前へ

ことしのクリスマスもケーキはありませんでした

次へ
次へ

クローゼットの景色を変えるもの