誰と生きるかは、“進化”の選択かもしれない
誰と一緒に生きるか。
結婚するかどうか。
離れるか、とどまるか。
恋愛や結婚には、たくさんの「選ぶ」がある。
けれど私たちはそのたびに迷う。
心が揺れ動いたり、条件を並べて頭で考えたり、
希望と不安の間に立ちすくんだりする。
私たちは無意識のうちに、
その人との暮らしが、自分が育ってきた家庭に比べて「よりよい」ものかどうか、
そんなことを、直感で感じ取っている気がする。
この「よりよい」とは、
いい家に住むとか、収入が多いとか、生活が便利になるという意味ではない。
より自由に、より軽やかに、より誠実に。
自分という存在が、
蕾のように深く、大きくひらいていくような関係であるかどうか。
その人との関係の中で、
そんな“真実な生き方”ができるかどうか、という意味で。
わたしたちは、今この瞬間の感情や出来事にばかり目がいきがちだけど、
実はとてつもなく長いスパンの「進化の旅路」の中に生きている。
その中で「誰と生きるか」を選び、
「どんな価値観で子どもを育てるか」を選ぶことは、
ただの個人の幸福だけではなく、
人類が次のステージへ進むための“意思表示”でもあるんじゃないか。
「選べない」「決められない」と迷うときは、
今この瞬間の損得にとらわれているのかもしれない。
でもわたしたちは、ほんとうは知っている。
偶然じゃなく、意思によって選ぶことの重みと希望を。
でもその“意思”って、何を意味するんだろう。
条件のよさでも、自分の考える正しさでもなくて、
“精神の自由”や“深いところから湧いてくる喜び”を感じられる方向を、
静かに選び取ることなんじゃないかと思う。
その人といるとき、呼吸が深くなって、心がほぐれて、
自分の中に閉じ込めていたものが、少しずつ溶けて自由になっていく。
言葉にしきれないけれど、「こっちだ」と感じる。
体の芯から湧き上がるような。
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